コラム

第8回

人間は考える葦である

「人間は考える葦である」

この言葉は哲学者ブレーズ・パスカルが残した言葉として有名です。

中学あるいは高校の授業で習った方も多いはず。哲学と言えばこのフレーズぐらいお馴染みの言葉です。

 

私が作りました新作落語に「人間っていいな」という落語があります。

もちろんまだまだ改良しなければと思う落語ではあります。

内容を全て書く事は出来ないので簡単に一言で説明致しますと「人工知能」や「ロボット」がテーマの落語です。

 

そして先日、某劇団さんの芝居を観に行きました。

(劇団名や公演名を書くとネタバレになってしますので伏せさせて頂きます)

こちらも近未来的な内容で、言うまでもありませんがとても面白く感動致しました。

 

ですから私の新作落語も改良しなければ!!と強く感じているわけです。

どうしてあんなに面白くできるのだろう。純粋にそう思った芝居でした。

 

近頃、どの分野でも「人工知能」「バーチャルリアリティ」「オートメーション化」などの文字通り近未来的な言葉を良く見聞きします。

 

そしてこれはつい昨日の話。

いつもお世話になっている落語会があり終演後、主催の方に「一人紹介したい人がいる」と言われました。

 

渡された名刺を見るとあの大手通信会社の「胡椒」を横文字にしたロボットの製作に関わっているとかなんとか、、、、。

仮にその方をAさんと致します。

 

Aさん「実は2日前も主催の人と会う機会があって話をしていたんですが技術、文化、芸術は今後人工知能が発達したらどうなるのだろう?明日落語会に行くけど落語の世界なんてどうなるのだろうね??なんて話をしていて、今日、志の太郎さんの落語聞いたらまさにテーマが人工知能だったので本当に驚きました。(とても面白かったですとも言ってくれました)」

 

私はその方が来ていることは終演後知ったわけで、別に狙ってその噺をしたわけではありませんが、ここ数ヶ月の私を取り巻く「人工知能関連」のヒキは凄まじいと感じます。

 

更にAさんから質問がありました。

Aさん「2045年にシンギュラリティが到来すると言われています。」

シンギュラリティとは人工知能が人間を上回ること。を指します

 

Aさん「志の太郎さんは一人の落語家、あるいは人間としてこのことについてどう思われますか?そんな世の中は来ると思いますか?意見を聞かせてください」

 

私「ファッ!!」

まさかの質問でした。難問中の難問です。

ただ私は面白いと思って作っただけなのに、、、、

そういうのは専門の大学教授か誰かに聞いてくださいよ!!

内心ではそう焦りましたが、焦りを隠し30秒ほど考え込むふりをしてたっぷりと間を空けて次のように答えました。

 

私「僕は詳しいことは分かりません。確かに時代や技術の進歩は凄まじいと思います。でも考え方を変えればそれは人間が退化している事なのかもしれません。」

 

Aさん「どういうことですか??」

 

私「今私は、自分の携帯電話の番号と実家の電話番号ぐらいしか記憶していません。住所もそうです。残りはもちろんスマホやPCの中に入っていますから記憶する必要がないのです。小学生時代は違いました。携帯電話なんてなかったですし、少なくとも仲のよい友達何人かの電話番号は頭に記憶していました。今はその必要はありません。計算も全部Excelや電卓です。筆算なんてしません。辞書も引かないなく漢字の変換は全て変換機能です。たまに恥ずかしいぐらいの漢字を思い出せない時もあります。」

 

Aさん「私もそうです」

 

私「便利ですし、今更覚えようとも思いません。そこで時間を割かれるのは無駄ですし。だけれどもその度に脳が退化しているな、、、。とも感じます。」

 

Aさん「そうですね」

 

私「私は学生時代、全く勉強していなかった経済学部の学生でしたが一番初めに《黄金のクロス》というものを教わります。簡単に言うと需要と供給のバランスのクロスした所です。右上がりのグラフと右下がりのグラフの《×》の真ん中です。」

 

Aさん「はい」

 

私「右上がりのグラフしか世の中見ていないんじゃないですか?」

 

Aさん「と言いますと?」

 

私「右下がりの人間の想像力・記憶力も存在する事も必要かと」

 

Aさん「ふむふむ」

 

私「横軸を西暦。縦軸を両者の想像力として、左下から始まり右上がりのグラフを人工知能の想像力とした時に、逆に左上から始まり右下がりのグラフを人間の想像力としてそこのクロス地点が今の段階2045年のシンギュラリティなのでしょうね。だから人間がまた記憶の必要性や不便さの大切さみたいな物を唱えたらクロス地点は2045年以降に移動しますし、今のままではもっと早くなるのではないですか??」

 

Aさん「素晴らしい!!」

 

私のメチャクチャな本当の経済学に怒られてしまうであろうインチキ経済学を利用した例えがAさんに響いたようです。全く根拠もありませんし熱弁だけだけで乗り超えた私です。

 

こんなこと私自身も想像がつきません。知りたい興味もあります。

想像ができないのがシンギュラリティ。

いや、「想像する事が必要もなくなるのがシンギュラリティ」だとしたらちょっと寂しい気もします。

人間に生まれる必要もないということになってしましますし。というか、その恐れすら感じない考える必要がなくなるのがシンギュラリティ。

シンギュラリティスパイラルに陥りそうです。

シンギュラリティを考えて、考える必要がなくなるのがシンンギュラリティ。

 

うーん。混乱しそうですがやっぱり生きているうちは「人間とは考える葦である」の方で私はいたいですね。

TOP