コラム

第5回

左手の悲鳴

考えてみると、友人と言える人間の7割が結婚している。

そうふと思ったのは先日も中学時代の友人から結婚の報告とそして結婚式の招待状が家に届いたからだ。

 

何気なく、招待状を開封しようとした時に手が止まる。

宛名を見てみると、友人の手書きで私の住まいの住所と名前が書いてある。

 

「へー結婚式の招待状の宛名って手書きなのか。」と心の中で思い、以前届いた別の友人の結婚式の招待状を思い出してみるとそれも手書きであった。

(友人の字が特徴的だったから印象に残っていた)

 

恐らく、この時代に2通の結婚式の招待状の宛名が手書きであるということは結婚式の招待状の宛名というのは手書きなのであろう。

 

私が落語の世界で言うで二つ目に昇進し、その昇進を記念した会で関係者に送る招待状も宛名は手書きであった。

 

つまり、招待状の宛名というものは手書きなのである。

「気持ちを込めて」の考えなのであろう。

 

私の個人的な意見でがもし、その様々な招待状の宛名がラベルシールやプリンターで印字されたものであったとしても。

「宛名がラベルシールや人工的なものであるからこの結婚式(あるいはパーティーや催事)には行かない」といった考えはほぼ100%思わないであろう。」

 

というか、「手書き」かそうではないかをいちいちチェックしている人もいないであろうし私もそうである。

 

しかしながら、連続的に同じ人から郵送物が届くパターンだと宛名が手書きかそうでないかは印象付は変わる。

 

一人だけ毎回手書きでいわゆるお知らせを送ってくる人がいる。

お世話になっている呉服屋さんである。

その呉服屋さんが何もPC環境がないわけでもなく、むしろお店の内装も、届くチラシや案内もとても清潔感があり且つお洒落で現代と和を融合させたものばかりである。

 

しかし宛名は筆で「手書き」である。(しかも達筆で)

相当時間がかかる作業であろう。顧客は私だけではなくたくさんいるはずである。

 

そうなると近くに通った際は何にも買うことができなくてもお店に顔を出そうと思う。そうすると思ってもない話を聞く事ができたり、欲しいなと思うものが見つかったりする。

 

実は私も2ヶ月に一度、私の会でアンケートに記入してくれ了承してくれたお客様に自身の会の案内と一言添えてDMを発送している。数で言うとまだ100人も到達してないがもちろん宛名と一言は「手書」きである。(時は達筆ではない。かなり下手である)。

 

これだけ時代が進む中、「手書き」というのは「非効率」と言われるであろう。

確かにプリンンターで印字すれば10分の1ぐらい。むしろそれ以上の時間で済む作業である。

 

では「手書き」はお客様を会場に足を運ばせる効果があるか?

効果と言うかこれだけデータでのやり取りや効率の作業が主流の中進む「手書き」は目立ちそうなものだがそうでもないのが実状である。

 

では非効率ではないか??

と思うかもしれないが実はそうでもない。

「継続的に続ければ」心に響くのが手書きである。(DMの場合は)

実際にお客様から「毎回手書きで偉いね」と言われた事がある。

 

もちろん私の落語自体が魅力的に越した事はないが、お客様の心を1ミリ動かす手段としては必要な事である。

それぐらい人の心、足というのはなかなか動かないものである。

 

何も「非効率」なものがマイナスな結果ばかりを生むとは限らない。

どちらかというと現代で血が通っているなと感じる数少ないものが手書きの手紙や手書きの文字なのかもしれない。

 

かといって私のDMの登録者が1万人なんてなったら手書きは無理であろう。それはそれで売れた証拠であり、成功の証でもある。

早くそうなりたいのも夢であり理想でもある。

 

何が言いたいかと言うと56月分のDMの作業を手書きで終え、利き腕の左手がパンパンだという事を伝えたい為に書いたのである。左手の悲鳴はいつか喜びを生んでくれると今は信じるしかない。    

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