コラム

第3回

あの時があったから

先日、親しい知人にとある「集まり」に行こうと声をかけてもらった。

その集まりは参加者年齢もバラバラ、職業もバラバラの20人ぐらいの老若男女が集まる。

 

簡単に説明すると、その参加者の内の一人が自分の仕事、専門としている知識を好きなテーマで講義するというものである。そんなにおかたい感じではなく和気藹々とした雰囲気の集まりだった。(今回私は受講の立場で出席)

 

コの字に並べられた机。椅子に座って講義が始まるのを待つ間

落語、演劇、映画などの芸能以外で人の話を見聞きするのはいつぶりだろう?と思いを巡らせているとその記憶は大学時代に遡った。

 

私は絵に描いたような不真面目な学生であった。

授業を受けるにしても後方の席を確保する。基本的に出席を稼ぐために授業に出る。そんな日々が大学3年目を迎える時には大学にすら近づかなくなった。

 

当時のドイツ料理屋でのアルバイトが面白くなりアルバイトばかり。

給料が入ると遊びに使う。

このドイツ料理屋で料理を作る楽しさを知り、お客様という人間が何を求めているのか感じ取れるようになった。あの経験は本当に財産になり今でもアルバイト先には感謝している。(余談だが、私の二つ目昇進記念の会の楽屋弁当30個は当時のアルバイト先にお願いした。)

 

それがために、大学3年修了時に大学5年が確約されるという異例の事態に陥ってしまった。

 

大学4年修了時84単位取得。卒業に必要な単位は124単位。年間の取得上限単位は40単位。

 

つまり留年の1年間で1つでも単位を落とすと6年目が確約されるという背水の陣。

大学を辞めてしまおうと思った。その頃から大学を卒業したら落語家になりたいと考えていた。

 

私「落語会なりたいから大学辞めたい」

親からすれば「ふざけるな!」という話である。今思うと本当に親には迷惑を掛けた。

 

私「だって落語家になりたい」

 

親「ふざけるな!許さない!!」

と親が言うと思ったら少し意外な答えが返ってきた。

 

親「落語家になる事は反対しない。けれども自分の置かれた状況が辛いから言い訳をしてその場から逃げる。自分の蒔いた種を刈り取れない奴に落語家の修行ができるわけがないだろ。結局、修行で辛い事があれば言い訳をして逃げるだけだ。今の状況から逃げずに大学を卒業しろ」

 

その通りである。

 

そこから留年の1年間、友達も皆卒業しているので1人で一番前の席に座り真面目に講義を受ける。99パーセント全授業無欠席。(1度だけ欠席した時があるが、それが師匠志の輔の平日昼の落語会という珍しい会のチケットが取れた為である)

すると、講義を聞いていると面白いことが多々あった。当然、大学とは学問しに行く所なので当たり前だし、自分が真面目に取り組んでいなかっただけだったと気がつく。

問題なく単位取得で卒業。入門。2015年二つ目昇進。(今でも卒業できない夢を見る所が私の小心者たる所以である。)

 

そんな事を思い出している内に、今回出席した講義が始まった。

純粋に面白く刺激になった。

 

講義が終わり歩いて帰る道すがら。

「あの時があったから」今があるのかもしれない。と考えた。

しかし「あの時があったから今がある」と言えるようにするためには


「今をどうするか?」が将来の「あの時」を左右するのだなと改めて感じ、夜道を歩きながらブツブツと落語の稽古を始める私がいる。    

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